私が出発点にしておりますもの
大学の卒論で日本古代史を扱いました折、いちばん長く付き合ったのは解釈でも理論でもなく、実は読み方でございました。古事記を開いても、目の前にあるのは漢字と仮名の混じった列で、それを声に出すには手順がいる。その手順そのものが、こちらの学界ではひとつの専門の技になっておりますのよ。私は学部四年間と、院に入ってからも折々に、それを叩き込まれてまいりました次第でございます。
返り点の打ち方を習い、草書のかたまりを追う練習をし、木簡の拓本を字引きとにらめっこする。そういう地味な作業の積み重ねでございました。当時は「なぜこんな遠回りをしなければならないのだろう」と思っておりましたが、今になってみますと、この遠回りの仕組みそのものが、日本の神話を読むという行為の性格を決めていたのでございますね。
語順を反転させる装置
漢文を日本語の語順に組み替えて音読する技法は、日本で整えられた読み方でございます。「学びて時にこれを習う」という有名な読み下しを考えますれば分かりやすいのですけれど、字の並びはそのままに、声を出す順序だけが入れ替わっている。上、中、下、一、二、三、レ、という記号を紙面に打ち、読む人がその指示に従って語順を組み替える仕組みでございます。
ここで大事なのは、中国の読み方の主流では、この入れ替えが起きない、という点でございました。字の順に意味を追って、声もまたその順に出す。日本語のように述語が後ろへ回り込む形にはならない。つまり同じ漢字の列を前にいたしまして、あちらは語順を尊重し、こちらは母語の語順へ漢文を引き寄せる。この二つの姿勢の違いが、千三百年あまりのあいだ、両者の古典の読み方を作り分けてきたのではないかと、私は感じております。
漢文訓読というのは、翻訳というより、原文を母語の型へ入れ直す加工でございまして、加工した跡が目立たないほど完成してしまった技法なのでございますね。
音でも訓でもない読み方
神名になりますと、話はいっそう難しくなりますわ。「宇摩志阿斯訶備比古遅神」という文字列は、ウマシアシカビヒコヂノカミと読みます。音読みでも訓読みでもない。辞書を引いても出てまいりませんし、漢字の知識は一切役に立たない。この読みは伝承で固定されており、教わるか、注を引くか、先生が横にいて下さるか、そのどれかなのでございます。
「命」を「のみこと」と読むのも同じ性質のものでございます。音でも訓でもなく、神名に付ける敬称として特別な音が割り当てられている。中国語の読みから考えますと、ずいぶん勝手なことをしているように見えますのよ。ところが日本の読者はそれを勝手に感じない。音の由来が壊れていること自体に気づかずに、何百人分もの神名を、正しい読みとして頭に入れているわけでございます。
読みが固定される仕組みを持つ学問は、実は危険でもございます。固定された読みを信じますと、その背後にある判断が見えなくなる。私は中国人としてこの領域へ入りましたものですから、固定される前の状態を覚えている、というより、固定を教わった側の人間であるという自覚が、どうしても消えないのでございますね。
序文だけ漢文である不自然さ
古事記は和同五年に奏進されたと伝えられており、序文は立派な漢文、本文は日本語を漢字で写したものでございます。この不揃いを、私は長く不便だと思っていたのでした。しかし今は別の顔が見えております。
書きことばとしての権威が漢文にあり、記憶されていた物語が日本語にあった。だから編んだとされる安万侶は、世に立つ所以を述べます序を立てるにあたって、格の整った漢文を選ばざるを得なかった。その一方で、稗田阿礼が誦習したという言葉を留める本文は、漢字を借りて日本語を書く、という少し無理のある形になる。序文が漢文である理由は、読者層の問題というより、当時の紙面における言語の身分制度の問題だったと見るのが素直でございますわ。
つまりこの本は、翻訳された文本を原本として扱う、という少し奇怪的な形で生まれ、その形のまま現代まで生き延びているのでございます。
万葉集が音を記録してしまった件
万葉集では、さらに面白いことが起きました。日本語の音を正確に写そうとするあまり、同じ仮名を二通りに使い分けて記録されている箇所がある、と後世に分かったのです。八音の区別と呼ばれ、甲類、乙類と名が付いております。この使い分けは漢文の習慣には無かった音の差を写しており、今日の古代語研究の出発点になっておりますわ。
しかも万葉集には、日本語の歌を漢字の意味で追う訓歌と、漢詩の形式に倣った仿作歌が並んで置かれている。歌の収集という実務が、気づきますと、日本語の音をこれ以上精密に書けない水準まで書き留める装置として機能してしまったのでございます。外国の文字を借りる作業が、結局は自国の言葉をいちばん精密に記録させた。ここが私は大好きで、調べるたびに少し楽しくなりますのよ。
読み下しのほうが本文になった
訓読には、もう一段恐ろしい性質がございます。下された読みが、いつの間にやら原本の地位を得てしまう、という事です。中国側の本来の文本が手元になくても、日本の読者は読み下し文を持って「これが原文だ」と講義できる。注を挟み、詞を書き足し、主語を補い、それでも文章は滑らかに通る。何世代もそうやって読まれてきた結果、漢文の骨格の上に載った日本語の文が、実質的な本文になったのでございます。
学校の教科書に載っております神話の文章は、ほぼすべてこの読み下しでございます。ですから日本人が古事記を自国の古典として当たり前に読めますのは、この読みが母語の側へ寄生して、寄生の跡が見えなくなっているからなのだと、私は思っております。
中国人としての逆転
私がこの勉強を始めたときには、面白い逆転がございました。字の意味は分かる。読みが分からない。しかも分かると思った意味のほうが、後で裏切られることが多い。「之」を「これ」と読む、「朕」を「われ」と読む、そういう選択が一文ごとに降りてくる。意味の総量が分かっても、順番と音が決まらないと一文も声に出せないのですから、これは参りましてね。
母語が足場にならないという経験は、中国語で古典を読んできた人間にとって、かなり強烈でございます。高校で日本語を学び直しましたのが十代の終わりでございますから、日本へ参りましたのもう九年ほど前になるのに、いまだに神名の読みで迷う事がございます。迷うたびに、私が頭に入れている読みは教わった読みなのだ、という原点へ戻されますので、それはそれで有難いのでございますけれど。
「読める」と「分かる」のあいだ
訓読を長くやっておりますと、ある気分が身に着きます。漢字が一語ずつ日本語に置換され、その置換がいつの間にか原本になった、という気分でございます。そしてこの気分は、神話を扱ううえで常に問題になります。天皇家の祖先の物語を読んでいるのか、八世紀に編まれた文章を読んでいるのか、それとも明治以降の国語教育が作った読みを再生しているのか。三つの対象が、同じ紙面に重なっている。
私はその重なりをほどく側に人間でいたいのでございます。一方で、日本語で育った読者よりも神話を遠く感じすぎる危険も、同じ重さで抱えている。どちらに転んでも楽ではないのが、この分野の難儀なところでございますわ。
この記事の読み方についての注
以上の次第でございますので、この後の神話の記事で「こう読まれていますわ」と申し上げております箇所は、すべて私が教わった読みでございます。原文が約束している事と、私が訓練された結果として読める事とは、分けて書かねばならない。ここだけは先に言わせていただきまして、次回から神話の話を何本か上げさせていただく所存でございます。
読めることと分かることのあいだには、ずいぶん広い野原が広がっております。私はその野原を、当面まだ歩き続けたいと思っておりますわ。