何を扱います記事か
国譲りと呼ばれる段でございます。高天原から使いが下りて、葦原の中つ国を治めておられる大国主命に「国をお返しください」と問い、大国主が子を尋ね、その子のうちひとりは抗って敗れ、最終的に国が譲られる、という筋書きです。読者はここで「天が勝った」と受け取りやすいのでございますが、本文の動きをよく見ますと、勝ったのではありません。譲ったことになっておりますのよ。
この違いが、神話を史料として読むときの核心だと、私は思っております。以下、私の読んだ順番で書き出させてください。
殺されていない、という事実
征服の物語でしたら、敗者の神は殺されるか、名前を消されるか、けがれた場所へ追いやられるか、どれかをするはずでございます。ところが大国主は消えない。むしろ堂々と自分の行く末を語り、条件を出し、それを承諾させて鎮座の地を得る。ここを「温情話」と読んでしまいますと、本文が何を設計しているかを見失います。
譲られた、という形式は、奪ったという形式より、ずっと長く使えるのでございますね。奪いましたら、いつか奪り返してよい前例になる。譲られましたら、臣従の形そのものが将来にわたって有効な手続になる。古代の編纂者が後世に残したかったのは、この手続きの形だったのではございますまいか。
代償として求められたもの
記の本文で大国主が求めていますのは、高い宮に鎮座させてもらう事、そして自分を祀るための場所と作法が整えられる事でございます。天孙が降って治めるのは構わない、ただし自分は真神留霊として大宮に留まり、祭りは続けてもらう、という形で話が決まってまいります。
注目したいのは、義務が天の側へも課されている点でございます。譲る側が何も要求せず従うのでございましたら、それは降伏でして、契約ではございません。祀る責任が相手方へ移り、しかもその責任は代々続く。祭祀は国家の事業の一部として組み込まれる。この構造のおかげで、出雲の神は都から遠く離れていても、朝廷の行事の中へ居続けることになりました。
契約書として読むべきだと申しますのは、こういう相互義務が字面に残っておりますからです。
天と国を結ぶ道が開かれる件
もうひとつ見落とされにくい条件が、道の開放でございます。天の神々が下り、国の神々が上る通路が整えられ、往来が開かれる。現代の読者はこれを景色的な挿入と思うのでございますが、祭祀の論理では、道が通っている事自体が契約の実行部分でございます。
祭りは本来、来るものを迎える行為でして、来るための道が通らねば始まりません。国を譲った見返りとして往来路が開かれた、という筋は、譲渡が単なる所有権の移動ではなく、祭祀の取り決めであった事を示しておるのではございますまいか。私はこの段を、道の話として読むようになってから、ずっと面白く感じている次第でございます。
抗った子のための座席
大国主の子らのうち、建御名方神は力競べに抗い、敗れて北へ退きました。そして諏訪の地に留まり、そこで祀られる事になります。ここが私はたいへん政治的な設計だと思っておりますのよ。
抗った者を殺しませんと、編纂側は決めた。しかしそのまま放置しませんと、荒ぶる神として残ってしまう。そこで勝った側が祀りの主となり、負けた側には別の座席を与える。座席は都から離れておりますが、確かに用意されている。大国主の件と合わせますと、譲歩した者にも、抗った者にも、いずれの側にも席がある、という網の作り方が見えてまいります。
この諏訪の配置は、別の記事で洩矢神という土地の神の話とあわせて書かせていただきます。そちらのほうが、服属の記憶がどう残るかがよく見えますからです。
異伝が多いという事の意味
日本書紀のほうは状況が少し違うのでございます。国譲りに関して「一書に曰く」が並び、どの使者が遣わされたか、大国主がどう答え、どこで決着したか、細部が揃っておりません。記と紀でも様子が異なり、記は問答の筋を通す一方で、紀は複数の伝を並べて留める形をとっております。
私はこの不揃いを、編纂の怠慢だとは考えません。むしろ処理の回数が何度もあった証拠だと読みたいのですな。ひとつの契約で片が付いた事になっておりますが、実際には別々の地域と別々の合意があり、その記憶が文本に重なって残った、と見る余地がございます。
歴史的な核をどう読むか
研究の歩みにつきましては、古事記伝を立てました本居宣長が、神代を述べる書として記の字句を厳密に追いました。のちに津田左右吉は、これを皇室の歴史ではなく、編まれた時代の秩序の表現として読み、神話と史実をていねいに切り離そうとしました。この二人の読み方の距離が、この分野の輪郭を決めたと申しても過言ではございますまい。
私自身は、出雲の有力な家柄が朝廷の体系の中へ位階と職務をもって組み込まれていった事実を、神話側の「譲渡」と単純に一致させるべきだとは考えておりません。ただ、出雲国風土記が他の国の風土記よりずっと沢山の古い伝承を載せており、編纂者の自分が暮らす国の神の話を誇らしげに集めている様子を読みますと、地方から見た中央との関係は、都側の記述ほど単純ではなかったのだろう、とは感じますわ。
暦のなかに残っている件
出雲では旧暦の十月を神在月と呼び、全国の神々が集まって相談がまとまると伝えられております。同じ月を全国側では神無月と言いますのよ。中央から見れば「神がお出でにならない月」、当地から見れば「神が揃って在る月」。同じ日付の上に、正反対の説明が二つ立っている。
神話で譲った側が、暦の語彙の上では集会所を握っている、という不整合は、史実の裏付けにはなりませんわ。それでも、政治の結論が生活の語彙まで降りてくる例としましては、ずいぶん分かりやすい例だと私は思っております。
都側の負担も増えている件
もうひとつ見落としにくい所を書かせてください。祀る義務が都側へ移りました結果、朝廷は遠い地の神のために、人力と米と祭器と使者の旅費を用意し続けねばならなくなった、という事でございます。祭りは経費でございまして、経費は記録に残るもの。律令の会計に、神社への奉幣や使の往復が現れますのは、この契約が生きている証拠でございましょう。
譲渡が成立した瞬間、受け取った側のほうが支払いを約束させられている。ここが契約書という形式の面白い所で、勝ち手が負担を負わされているわけでございます。大国主が「大きく高い宮に鎮座したい」と申し出ますのは、単なる居場所の要求ではなく、永続的な経費の請負を天側へ押しつける行為なのでございますね。
同じ型が他の地にも見える件
同型の処理は、出雲に限ったものではございません。その土地の古い神を、中央系の神の后や子、あるいは家来として並べる形は、各地の由緒に繰り返し見えますのよ。祀りの序列が、政治的な序列の代理として書かれている。
ですから私は国譲りを「出雲だけの出来事」とは読みません。編纂側の常用手段として読むのでございます。ただし注意が要りまして、各地の社の由緒まで一括りにして「皆同じ支配の道具だ」と申してしまいますと、当地が自分の神について語ってきた内容を、私が潰してしまう。そこは分けて書きたいところでございます。
整えておりましたのは序列でございます
この段が本当に整えておりましたのは、土地の所有ではございませんで、序列だったのではと私は考えております。その土地で作られる米は、誰の宮が上かという話とは無関係に、粛々と実り続けておったはずです。
神話が直したかったのは、上の座と下の座でございましょう。だから本文は「譲った」という手続きの言葉を丁寧に並べる。所有よりも序列を問題にする。ここが古代の政治文書として読ませる所以だと、私は思っておりますわ。
読み方の註でございます
神話は当時の記録ではございますが、出来事の記録ではございません。何が起きたかではなく、起きた事をどう説明したかったかが書かれている。国譲りを読みながら、私はいつもそこを意識しておりますのよ。
古代の人が後世に残したかった形がある。その形を壊さずに、しかも神聖視せずに現代の言葉へ直すのが、この分野の難しいところでございます。次の記事では、この契約で席を得たはずの側の諏訪へ参りますれば、服属した神の記憶が、実は社ではなく家の名前に残っていた事が見えてまいります。そこもまた、契約書を読む一つの作法だと思いますので、書かせていただきます。