少女祈祷中...

私の住所欄に入っております神話

私の自宅は名古屋市瑞穂区にございます。この町名を役所の書類に書くたび、神話の勉強をしております者としては、少し変な気分になるのでございます。「瑞穂」は日本書紀に国の美称として見えます語で、その語が私の住所の欄に載っておるわけですわ。

京都の寮から名古屋の家へ戻りますと、堀田通のあたりを歩いていても、神話の名前が街角に立っている。私はこのちぐはぐさが結構好きでございまして、地名の勉強は、こういうちぐはぐを出発点にすると良いのでございますね。

由来が二つ並んでいる件

調べますと、区名の由来が二つ並んでおります。ひとつは、もともとこのあたりの中心にございました瑞穂村という村名が引き継がれた、という説明。名古屋市側の町名の解説には、村の名は明治天皇が稲の収穫を視察されたことにちなむとされる、という書き方が掲げられておりますが、文献により細部が揃っておりません。

もうひとつは、区が設けられました折に、国の美称であります豊葦原千五百秋瑞穂国から採った、という説明でございます。実はこちらの文献のほうが派手で、神話から地名へ直行したように読めますのよ。

私はこの二説が並んでいる状態そのものが好きでございまして、名前の由来というものは、たいてい単一的答案を持ちません。村の名が先にあり、気取った解釈が後から乗った、と見るのが素直かも存じません。それでもどちらかを断定できる材料が乏しいのが実情でございまして、その乏しさを記事に書かない者が多いのを、私はいつも不便な感じておる次第でございます。

稲穂が国号になる経路

「豊葦原千五百秋瑞穂国」は、日本書紀の神代上、天孫降臨の記事の一書に見えます。葦の生い茂り、稲穂が千秋の実りを待つ国、という意味でございましょう。古事記の側にも豊葦原之瑞穂国の語が見えると整理されておりますので、記紀の両方で、この国は田の実る土地として定義されていたのでございます。

神話が国の自己紹介に農耕の語を選びましたのは、単なる修辞ではございません。統治の合法性が米の生産に結び付いておりました時代の実感が、そのまま美称になっている。天照大神の子孫が治める国は、実る国だ、と宣言する文句なのでございますわ。

ここで思い出していただきたいのが、前の記事で触れました出雲の件でございます。国を譲った側の大国主命は、のちに農業と医療の神としても扱われてまいります。国土の豊穣を司る神と、実る国という美称は、同じ問題の表と裏でございましょう。神話の政治は、いつも米の話なのでございますね。

それが二十世紀の地名になる

問題はここから先でございまして、「瑞穂の国」という言い方が近代の愛国語彙として使われるようになった件でございます。私はこの経路をまだ原典で確認しきっておりませんので、断定は差し控えたいのでございます。

ただ、地名として残った以上、誰かが好んでこの二字を選んだのは確かでございますし、その選んだ動機が、村の実りだったのか、国の美称だったのか、あるいはそのどちらでも説明のつく空気の時代だったのかを、私は歩きながら区分したいと思っております。

戦前の言葉づかいが、戦後の地名の解釈に影を落としている事は珍しくございません。由来の看板を読み歩きますと、同じ町の名に、時代ごとに違う自慢の仕方が重ねて書かれている。私はそれを、神話の二次利用ではなく、地名の三层構造として見たいのでございます。

中国の読みと比べますと

私の母語から申しますと、「瑞穂」は少し変な二字に見えますのよ。中国語で瑞は縁起のよい、という形容で使いますけれど、これを稲穂の意味で国の名にいたします発想は、あちらにはございません。実る国、という名前は、米の収穫が政治の正しさと直結しております土地でしか思いつかない語なのでございます。

ですから私は、この二字を眺めるたびに、日本語と中国語の漢字の距離を測らされている気がするのです。同じ字面に、違う連想が載っている。私の住所欄は、その実験場として結構便利な場所でございまして、研究の話を書くたびに、ここへ戻ってきます。

地名は望みを書く

私の専門は近現代の民衆史でございますが、こういう場面で古代の勉強が役に立ちますのよ。地名は、その土地が何であったかより、名づけた人が何を望んだかを書く。

だから私の住所欄を読みますと、十九世紀の視察と、八世紀の神話と、二十世紀の愛国語が重なって見えてまいります。しかも私は歴史を専攻しております上に、中国語を母語としておる人間でございますから、「瑞穂」の二字を見たときに、まず中国側の「瑞」の読みをひと瞬き考えてしまう。字が三つの言葉で別々に読める人間の住所なのでございますね。

他の瑞穂と名付け比べますと

この二字の使い方を比べますと、私の住む区の少し特殊性が見えてまいります。東京には瑞穂町という自治体がございまして、町の説明では、日本の美称であります豊葦原千五百秋瑞穂国から採った、と堂々と述べられております。岐阜の瑞穂市も、同じく記紀に見える美称を由来に掲げておられますのよ。

どちらも神話から名前をもらう手続きをはっきり書いていらっしゃる。ところが名古屋の区の説明では、もとの村名が継いだ、という実務的な由来が常に先に立つ。同じ二字でも、名づけの自己申告の仕方が違います。美称説を強く打ち出さない理由は、おそらく村名の記録が先に有ったからでございましょう。

この差が私の興味を引きますのは、地名の名づけには、その土地の実績と、その土地が望んだ顔の二つがあり、区役所の説明はその両方を無理やり並べているからです。私はこの並べ方が好きでございますし、並べ方そのものが戦後の名古屋の自己紹介だと感じております。

区内の町名を階層で読む

区内の町名の解説をまとめて読みますと、昭和の成立、旧町村の字名、坂や館の地形、寺社の名、という幾つかの層が順に出て参ります。たとえば坂の上方と下方を分けた名は、地形がそのまま序列になった例でございますし、古い館にちなんだ名は、中世の所有の記憶が残った例でございましょう。

瑞穂という二字だけは、これらの層とは違う出所から上へ載った。神話と行政が同じ住所欄に同居しているわけでございますね。私の勉強は、この同居をほどいて、どの層がいつ置かれたか的年代を出したいだけなのでございます。

歩く計画でございます

近いうちに、区内の古い寺院と神社を歩いて数えてみたいと考えております。由来を掲げました看板がどの板に、どの文言で書かれているかを写し、区役所の解説と照合し、どれが村の記憶でどれが神話の借用か分行でお分けする。それが出来れば、この記事の空欄も埋まるかと思います。

写真も添えたいのでございますが、ご近所が写り込む景色ばかりでございまして、掲載の仕方には少し配慮が要りますわ。住民の生活が主で、私の関心が客でございますから、その順番は崩したくございません。

註を書かせていただきます

記事に載せました神名の読みも、日本書紀の文の解釈も、すべて私が教わった読みでございます。「豊葦原千五百秋瑞穂国」の訓のみますれも、流布している読みを写したものでございまして、原典の断簡で確かめた事柄ではございません。

十本目にあたりまして、私がこの一連で申したかった事を一言だけ申し添えますれば、神話を読むという行為は、その言葉が今どこに置かれているかを確認する作業まで含めたい、ということでございます。私の住所に神話の残骸が入っておりますように、皆さまの街の名前にも、必ず何か入っているはずなのでございますわ。