玉手箱は後から付いたもの
今の浦島太郎は、亀を助けて海の宮へ行き、姫から箱を預かり、開けると老いる、という形で決まっております。ところがこの箱は室町期の御伽草子で整えられたものでございまして、それ以前の話は、もう少し簡素でございます。
日本書紀の顕宗天皇の段に浦島子の話が見えますし、万葉集の巻頭には、浦島子を詠んだと伝えられる長歌が一首置かれており、その左注に物語の梗概が書かれております。その注が依存しておるのは、丹後国の風土記の残り方だと整理されておりますのよ。海辺の国で語られた話が、書の形と歌の形の両方で、八世紀の紙に載っているわけでございます。
そこで見えますのは、海の向こうの国へ行き、そこで少し楽しんで戻りますと、里の人々も子孫もまったく変わっていた、という筋だけでございます。箱も、開けるなかれという禁令もない。玉も、姫の別れの贈り物としては出てまいりません。
常世という場所
この物語の芯は、異界が空間ではなく時間で隔てられている点でございます。海の彼方は遠いのではなく、遅い、あるいは進んでいる。常世の国は、長き世、変わらぬ世と呼ばれ、不老の語が結びついてまいりました。
そしてこの場所は、中国の海上三神山の観念と接しておりまして、蓬莱の語が日本の海辺の伝承に混じってもおります。海を渡って仙人の国へ着く、という発想は、秦の使者の伝承と結びつけて語られる事もございます。日本海側の港から語られた話には、海を境界に置く観念がはっきり出てまいります。
私が面白いのは、海が障りではなく道として扱われている事です。島国論で語られる「守られてきた国」というイメージより、ずっと動的で、開けた海の認識が、この話には入っておりますわ。
同じ型の話があちらにもございます
時差のモチーフは、日本だけのものではございません。古い中国の異聞集には爛柯の譚が見え、王質という者が山に入って童子の碁を観ておりましたところ、持ち歩いておった斧の柄が腐っていた、という。帰れば時代が過ぎ去っており、仙境で見た短い時間が、人の世では長かった、という話でございます。
異界で時がこちらの速さで流れない、という型は、世界の各地に見出されます。ただ日本の場合は、海の向こうへ舟で渡る形をとりましたので、空間移動と時間差がセットになった。山へ入る話と、海へ出る話が、同じ型を別々の地形で育てたわけですな。私はこの地形の差が、両国の異界観のちがいを教えてくれるのではないかと感じております。
港から語られた話という事
この話が丹後側の海から出てまいりましたのは、私には重要な事でございます。語った人々は漁師と港の者で、海は日常生活の仕事場なのでした。仕事場としての海は、季節と潮と風で構成されておりますから、あの世もまた潮の流れの先に有る。陸側の人間が空想で描きました桃源郷とは、素材が違うのでございますね。
陸奥の山で碁を観て時間を失う話と、海の彼方へ舟で渡って時間を失う話。同じ型が、異なる地形で二度作られているわけでございます。私はこの地形のちがいを、日本の神話が海の話として語られる事も多いという証拠として、好んで引用しております。
教訓へ矮小化される値打ち
では、なぜ箱が後から加わったのでございましょうか。ここに私は、民話化のコストを見るのでございます。
異界との時間差は本来、宇宙に関する論でございました。人が永遠に触れない事で老いを免れる、という仕組みです。ところが御伽草子以降、物語は「約束を破ったから罰せられた」形に作り替えられる。箱を開けたのが悪い、という説明は、時間の非対称という発想を捨てないと成立いたしません。面白い話が、教訓にするために簡略化されたわけでございます。
加えて近世の昔話には、亀の報恩という道徳の軸が足されました。助けた者が恩を返し、恩を受けた者は善意へ応える、という読みやすい形に整い、その分、海の彼方の不気味さは薄れております。私は教訓化を嫌う質でございますが、嫌うだけで済まさず、何が削られたかを特定したいと思っております。
歌のまわりに注が付いている異例さ
万葉集の歌には、本来あまり説明が要らないのでございます。歌が物語を語らず、断片だけを見せるのが常でございましょう。ところがこの浦島子の歌のまわりには、話の梗概が散文で書き添えられております。歌を集めた書のなかに、物語の要約が居座っているわけでございますね。
私はこの形に、古い話が文献化されるときの癖が出ていると思っております。歌のほうが先にあって、物語のほうが後から説明として付いたのか、物語が先にあって、歌が添え物として置かれたのか。判別は簡単ではございません。ただ、注が地方の記録に依存していると整理されております以上、都で編まれた書物が、辺境の港の語りを受容した跡が、この一行の注に残っているわけでございます。
亀と龍宮が後から接合された型
今の形の話は、二つの型が縫い合わさって出来ております。ひとつは異界へ行って時間の差を被る型、もうひとつは動物を助けましたら恩返しに来る型でございます。この二つは本来別物で、前者は老いの話、後者は報恩の話でございました。
室町期あたりにこの二つが結ばれますと、姫の宮へ招かれる理由ができて、話に動機が付く。動機が付きますれば、禁を破る理由も必要になる。こうして箱が生まれ、開ける者が生まれる。物語に心理の説明が足される過程で、宇宙論的な要素が、道徳的な要素へ置き換わっていったのでございます。
開ける者と、開けさせる者
箱を開けるのが本人か、その妻か、という点も時代で変わってまいりました。近世の草子の形では、別れの贈り物を開けてはいけない理由がはっきりしないまま、開封へ話が進みます。この不手際が、後世の読者には「女性は約束を守れない」という性分の話として読み替えられる事になりました。
私はここに、民話の道徳化が最も粗く働く箇所を見るのでございます。元々は時間の非対称という構造的な話だったのに、誰が悪いかという説明が足された結果、物語の面白さが減って、教訓が増えた。私の専門はこういう加工の履歴を拾う事でございまして、元の話を復元したいとはこれっぽっちも思ってございません。ただ、どの層がいつ足されたかを書かないまま「日本の昔話」と括るのは、不出来なのでございますわ。
丹後の地に残る名称
この話の故地とされました丹後の方は、京都からそう遠くございません。天橋立のある海の景色をご覧になりますと、確かに「向こうへ渡る」という発想が身についていそうな地形でございまして、私はいつか足を運んで、伝承の看板と社の記録を確認したいと考えております。
ただし、現在の観光案内が見せる説明は、御伽草子以降の姿である事が多いのでございます。昔話の地名伝承と、八世紀の文本と、現代の案内板は、同じ物語の別々の層でございまして、私はこの三つを混ぜないよう書きたい。そのつもりでおりますので、現地へ参りましたら、どの板に何が書かれていたか、写すもの写す、分けて載せさせていただく所存でございます。
次回への繋ぎでございました
この記事の主題を一言にまとめますれば、浦島太郎は海の向こうへ行ったのではなく、時間の違う国へ行った、という事でございます。箱は後の追加で、教訓はさらに後の加工、という順番が見えますれば、神話というものが一度書かれて終わらないものである事がお分かりいただけるかと思います。
さて、この種の話を上げますと、すぐ二次創作では、と聞かれるのが常でございまして、そちらのほうが神話の反転の仕方がよく見えますので、諏訪の件とあわせて次にご用意させていただいております。今回は文献のところまで、と決めて書きました次第でございますわ。